誰にも口外しないと約束してくれるなら…これまでの心理学・認知科学・脳科学では一切、メスを入れられなかった領域・・・かつて1度も公開されたことのない、相手の本性を暴く、心の奥底に隠された秘密のベールを解き明かす方法をお伝えするのですが・・・。

【宣戦布告】

こんにちは。易徳大有です。

 

正直に申し上げます。

 

私はとにかく人間関係が嫌いです。

 

何よりも人に気を使うこと

これが一番苦手です。

 

顔色をうかがったり

他人に神経を使うことなんて面倒臭い

 

だいたい気を使ったところで

今までろくな目にあった試しがない。

 

だからそんな暇があったら

とっとと自分のことは自分で済ませる。

 

これが私の中で自然にできてしまった信念のようなものでした。

 

 

そんな「人間面倒男」がそうまでして

なぜ人間関係に足を突っ込むのか?

 

わたしの履歴からお話しします。


【幼少期から状況まで】

〜兄弟も多かった。しかし家庭は早々に崩壊。皆、個性豊かすぎてバラバラ。

早くから「自立」について人一倍、敏感にならざるを得なかった・・・

わたしは神戸に生まれ加古川で育ちました。

親父は寡黙でおとなしい口下手な人。人付き合いは苦手。

母は好きな人がいたのに周囲の意向で無理に結婚。

4人の兄弟姉妹のうち三男坊で下に妹。

 

幼年期より剣道を学ぶ。

かなり自我の強い、負けず嫌いの性格でした。

 

その後、中学2年の時に両親が離婚。

父は離婚に判をついた後、一週間後に心臓麻痺で他界。

 

泣きじゃくる妹に「泣くんじゃない」と叱咤し

すっきりと晴れやかな気持ちで「家族は俺が責任を持つ」ことを決意。

 

そんな時にどこからともなく

’アリス’の『エスピオナージ』がラジオから流れてくる・・・。

 

“Espionage 悲しき運命

 Espionage いつかは異国の土になる

 Fade Away,  この街が最後の街だろう

 Fade Away,  消えていく男に赤いバラ”

 

もっとも身近にある、両親の離婚と父の死。

 

普通であれば、何か悲劇的な人生の意味をもたらすものであろうに

 

晴れやかな思いで表現しがたい運命と対峙するような

ある意味サバサバした気持ちで未来に挑んでいく自分がありました。

 

 

目立ちたがりで負けず嫌い。

そんな男が青春時代でもっとも情熱を傾けた剣道。

中学の剣道部の顧問であった日体大卒の鬼指導者に半殺しの刑を受けて

凄まじく頭角を現します。

 

剣道はまさに剣で勝負している生死をかけた臨場感を常にもつ。

 

「気・剣・体」の一致。

礼に始まり、礼に終わる。

 

勝負では相手をしっかり見据え、ぶれない自分の型を作って、

心を鎮め、冷静に相手を見て一瞬の隙をつく。

 

自分を虚にしながら攻守のバランスを保ち

ここぞという瞬間の隙を見破り

決断の準備をする、間合い。

朝から晩まで、夏休みもない。

知らず識らずのうちにこうした人生の姿勢を体得する厳しい修練の日々を過ごしていました。

 

その後中学3年で兵庫県大会で個人戦「優勝」

 

県下No.1の強豪私立高校より特A生としての推薦を受けるも

公立進学校に進路を進める。

 

そこでは期待に反して成果が出ぬまま、以前の調子を取り戻すことができず。

 

勝負の世界は、結果が出ないと極めて厳しい。

狂った歯車を元に戻す方法がわからないまま

結局、迷いの中で高校生活を終えてしまいます。

 

 

それから地元を抜け出したい思いから東京の大学に進学。

大学生活では学問そっちのけでバイトに明け暮れつつ

様々な新興宗教からの誘いを受けます。

 

自分の不調を脱却するべく超人的な力をもちたい願望から

「神と悪魔を乗り越える超能力を身につけたい」

こんな動機からありとあらゆるものに遭遇していきます。


【神道・仏教・キリスト教系の各種新興宗教との出会い】

~常識に生きる一般庶民からすれば異質な世界。でも、人によっては強烈に引き込まれる何かがある。

一体その力とは、なんなのか?

例を挙げて見ますと

・オカルト系新興宗教

・古神道系

・仏教系

・スピリチュアル系、ニューエイジ運動

・異次元パワー

 

そんな中で青春をかけたものとの出会い、それがキリスト教系新興宗教です。

 

当時、はやりの新興宗教が量産される中で、

これまであった世界観と歴史観を乗り越える壮大なストーリー展開で、

「人類救済・世界平和・地上天国実現」をスローガンに掲げた内容だけでなく、現実社会に実際に関わる実践力があり、若く優秀な青年が先を争って突き進む、そんな求心力もあって、非常に魅力的に映りました。

 

“遠く高い、手の届かないところにいる「神さま」”

 

ところがその「悲しみの神を慰めたい」という教祖の逆転の文脈に刺激を受け

「俺も地の人々みなが救われた後、天国に入るのは最後でいい。

そのためなら青春を犠牲にしても、何としても世界平和を実現し、闘争の歴史に終止符をうつ!」

こんな気持ちで一心不乱に活動に身を投じた日々。

(今となってはまんまと絡め取られた感がありますが・・・。)

 

激しい伝道と献金活動に自分を追い込み寝食を忘れ身を投じた。

いつしか功を奏し、天性の目立つ存在であったことも合わせて注目を集める。

華々しい実績を上げたわたしは教団指導者から一目置かれるようになり

 

教義を伝授する講師や

前衛部隊の隊長、

とある地域の150名を抱える青年部全体を統括し指導する顧問などを歴任し

まさに破竹の勢いで頂上を極めるあと一歩のところで大きな壁にぶつかります。

 

それは、教団指導者たちのいる上層部と末端の純粋な信者たちとの間にある

到底、埋め合わすことの出ない溝と矛盾。

搾取の構造。

 

あたかも自分が神のごとくふるまい

人権無視や公金横領を平然と起こす指導者。

教義上あり得ないはずの男女問題

数え切れない横暴な幹部の不正。

それにもまして内部における尋常ならざる見苦しい政治的権力闘争。

安楽で居心地のいい怠惰な責任者の表裏。

 

どこにでもあるものといえばそれまでですが

どうしても避けて通れない、組織にありがちな構造的な問題を目の当たりにします。

同時に、人間の心に巣食う人間の性(サガ)。

自分が命をかけた道がそのようであることへの絶望と挫折。

 

孤独を背負いながら

いつしか新たな道を自ら開拓しなければならない

 

 

そんな思いから黙ってそこから身を消していったのです。

 


【人間嫌いの理由(わけ)】

~人には必死に自分を押し出しても、実らないものがある。それをまざまざと見せつけられる・・・。

こんなわけですから、人の3倍目立ちたがりといいますか、

黙っていても存在感がありましたので

当たり前のように余計なお世話ばかりしていました。

 

所属した教団と離れてからというものは、自ら開拓に出向き新たな宗教統一と平和の可能性を模索して、

超宗派運動に身を投じてさまざまなジャンルの宗教指導者と出会い会議の参席機会を得ます。

 

ところがそれぞれ自分達の宗教が最も優れているとの自己主張・我田引水のオンパレードでまったく歩調を合わせない。せっかく会議を行っても収拾がつかず、時間ばかりが無駄となる虚しさ。超宗派とは名ばかりで全然まとまる余地がない。それぞれが勝手なことを言っている俗世間の人と一緒である現実を目の当たりにします。

 

宗教の超次元に万能薬を求めたものの、現実の宗教の限界。

 

過去に教団組織内で他人の面倒を見ていた時も

教理に基づく方向へ誘導尋問するような形で囲い込む。

そこで現実に行われているのは多くの信者の個性を潰し、

まさに自分の教義に合わせた画一化されたモルモットを量産する、養成所のようなもの。

 

崇高な共生共栄共存の理想を掲げる宗教でさえ調和を示すことができない。

その内部構造にさえ、人間らしい個性解放の道筋が整っていない。

 

外に向かっていっても、内側においても、

あらゆる角度からいとも簡単に崩されて破壊されていく宗教の現実。

 

自分にとっては他人の厄介ごとや荷物を背負うことなど朝飯前だけれども

あたかも尻拭いをするような立場で、それも自分の運命とあっさり引き受けたことが

結局最後には裏目裏目になる。

 

同情心や義理人情を切り捨てることができない性質をいいことに

他人のために尽力しても、その人自身も人として立派に建て直らないし、自分にも何も残らない。

 

こうしたことが人間嫌いの引き金を引き、生きるスタンスを大きく変えていくことになります。

 


【mr.Yとの再会】

~周易と断易。これまで《易の世界》では水と油の対立関係にあった世界が劇的に融合する。

さまざまな世界と遭遇する中で、結局はそれぞれが「自分のことは自分でする」以外に方法はない、

だからまずは資本主義のルールから抜け出していける十分な実力を自ら身につけることである。

そのためにはひたすら金を稼ぎ這い上がるしかない。

 

決意したら即行動のわたしは、周囲から見れば気違い沙汰のように朝も夜も体を張って、

現金獲得に勤しみます。アルバイトだけで、ゆうに年収1000万円を超える金額を稼ぎまくります。

 

常にアンテナを高く持ち、情報収集してあらゆるものを吸収していきます。

一攫千金の投資事業ももちろん。健康ビジネスやネットワーク、新手のビジネスにも精通します。

 

しかしそうは言っても

思った以上の現実の厳しさに直面しながら、どうしても外せない、捨てられないひとつの視点がありました。

それは、ひとりひとりの違いを尊重しいかに平和裡に共存することのできる調和をもたらすことができるか、

このコンセプトは「個人」の個性を尊重する視点に立脚していなければならないという着眼点です。

 

まず個人を尊重し、解放せずしては幸福感はありえない。

 

これが、運命学を切り離せなかった理由です。

 

そこで運命学の王道である、「周易」に手をつけ手応えを感じた中で、

かねての旧友、mr.Y氏と再会することになったのです。

 

mr.Y氏とは、途中、間も空きますが、かれこれ20数年来のつきあいになります。

mr.Y氏は「推命学と断易」の研究に身を投じていました。

 

彼は、さらなる奥義に到達するため、わたくしの研究していた「周易」に興味をもち、

また、私は実践鑑定の一室を準備し、鑑定の筋道を提供することで互いに共鳴し、

相互研究する新たなつきあいが始まったわけです。

 

 

こうして現在のスタイルが出来上がったことになります。

 


【立命を志すということ】

~「立命」とは〈自立〉と〈命運〉。「志」は自覚的に、自ら死ぬまで必死に生きる。

ここでもう一度おさらいしておきます。

 

まずわたくしがこの立命塾を世に出すにあたっての原則であり、覚悟から。

 

  • あなたの運命はあなただけのもの。全ては自分で決断しなさい。
  • 運命とは外から襲ってくるものではない、〈自作自演の人生劇場〉である。
  • 苦しみから逃れる方法は、立命に到達する以外にはない。立命こそ、苦しみから逃れる唯一の道である。
  • 立命とは、生々しい過去の自分自身と対峙して高い視点に立ち乗り越えていくことである。
  • 現実を直視する〈ものの見方〉と同時に、現実を成り立たせている原理から自分を客観視できる視点、高い〈メタ〉視点を確立しなければ乗り越えることにはならない。
  • その視点は、普遍性をもつと同時に、個別の差異についても全てきれいに説明できる、哲学的なものでなければならない。
  • つまり、原理的に全体を見据えて、構造から自らの個性を自覚化できる内容でなければならない。
  • その説明原理は誰でもが実感できる自然界の摂理に基づくものでなければならない。
  • その方法を一度獲得すれば、その後死ぬまでずっと使えるものでなければならない。
  • この方法論を採用するかしないかは、最終的には自分自身で決定する。

 

わたしの「はてなブログ」でも書いているように、

そもそもの「立命」とは自立命運の道を歩むことであると定義しています。

自分自身の手で自分の道を歩む以外に何の喜びもありません。

 

それで多くの人は「自分らしさ」を追求すると言って

自分の内にある性質ばかりに目を向け、内向きになりがちです。

ところが、自分の心の内を訪ねてみても、実際は何も見えてこない・・・

かえって何もないことを知る、という実感をお持ちではないでしょうか。

そうして、考えても仕方ないこと・・・という具合に、

諦めの境地で目先のことに振り回されて終わってしまう・・・人生。

 

はっきり申しあげます。これでは迷路の罠に陥ります。

 

これは方法論からして、間違っているのです。

 

 

 

では順に、『真の立命の観点とはどういうものなのか』についてこれより説明します。

 


【構造から見る自己の存在。その意義や使命について】

~全ては構造の中の関係性によって存在が成立する。

前の文で自分を見つめても何も出てこないことを指摘しました。

では、どうやって自分を知るのか?

 

昨今、地球環境問題について我々は敏感になってきました。

ひとびとは全体の構造に目を向けざるを得ない状況にあるわけです。

 

実は、小宇宙である人間自体の中にも、「構造」があります。

人それぞれにあるひとつのまとまりをもつための素材と構造があります。

 

これがどのようなもので、他人と比べてどういった違いがあるかの原点を明確にします。

そこからご自身の特徴である持ち味を明確にする。

 

 

これが「メタタイプ論」で明示されています。

 


【あなたにとっての人生の目的とは】

~人生とは自分を完全燃焼し尽くすこと。

実は人生の目的とはあってないようなもので、固定化できません。

言語哲学者ですら、社会と向き合い生きる人間の使う言葉を「言語ゲーム」と表現するぐらいです。

何も決められたものなど、ないのです。

 

仏教では自分の価値観を軸に良し悪しを分けてみること自体が妄想である、と定義しています。

 

正法眼蔵の中で道元は、「迷いと悟りは一体である」と説いています。

迷いの中で生活している我々が、その本質をしっかりと悟ってしまえば迷いはなくなります。

しかしそもそも悟りを求めてあくせくしなければ迷いがないといえます。

 

簡単にすると、「あなたが自覚した通りに自分を完全燃焼し尽くせば、それで良い」ということになります。

 

そのあなたがあなた自身を求めるということの意義と価値について、

 

全ての方に自然界の法則から指し示すことができる、これが「メタタイプ論」です。

 


【生まれながらの宿命的課題と問題点の自覚】

~迫る、『悪神』。これは自分の内なる世界に住んでいる。

個性的である、ということは他人との違いであると同時に全体から見ると役割分担です。

人は変化の中を生き、さまざまな動きの中に刺激を得てそれらを味わい幸福感を充足します。

 

自分と自分を取り巻く環境についてズームイン・ズームアウトの両眼がなければ調和をもたらすことができない。

得てして我々はバランスを崩し、内向きになったりして、

うまくいかなくなればなるほど自分の世界にこだわりを持ち始めます。

 

人は自分の個性についてこだわり始め、自分の世界からものを分別することで宿命的課題を抱えることになります。

 

しかもこのこだわりのエネルギーとは、「メタタイプ論」から見ると、

実はどうすることもできない自分自体内から湧き出るエネルギーの強さからきており、

さまざまな副作用と絡んで特殊的な作用をする『悪神』として生涯を通じて働きかけ、

問題を起こす元凶と説かれています。

 

この作用を全く知らぬまま、人はまさに自縄自縛の罠にはまり、迷路に陥る。

 

なぜこうした現象が起きるのかの原理を明快に解き明かし、

いかにすれば自覚的に難を逃れることができるか、

 

筋道を見出す方法論を提示します。

 


【避けて通れない、深層心理と本能的欲求】

~生命ある人間である限り、避けては通れない〈本能の作用〉とどう対峙するか。

先の《宿命的課題と問題点》のところであげた「悪神」とは知らずのうちに苦しみをもたらすものであると同時に、

もっともエネルギーが強いために、実は個性を作っている元となっています。

 

これらは本能的欲求とも呼べるものであり完全になくすことは不可能です。

 

 

しかし、この本能的欲求をなくすことはできなくても、

あたかもエネルギーを変換させるがごとくうまく調整する方法を知れば、

苦しみから解放され喜びへとつなぐことは可能になります。

 

つまり、本能があることの事実を認めて、そこから個性に合わせた適正なサイズの幸福感を模索してくことで、

バランスのとれた人格を構築することが可能になり、人生の安定がもたらされるのです。

 

この辺りの事実をしっかり掘り下げていきます。

 


【他人との関係、コミュニケーション問題について】

~本当に〈人の役に立つ〉ことがどこまで可能なのか?

これはやや、哲学的なアプローチが必要になります。

他者認識という面で、我々は宿命的に大きな壁にぶつかっているからです。

つまり、完全には相手になりきることは決してできない。だから言葉を使ってコミュニケーションを図るわけですが、

その言葉自体が自分の経験してきた観念や概念から抜け出せていない。

 

自分が経験してきた人生がどうしたってベースにあり、それがどこまで相手の経験と一致しているのか。

 

この辺りは他者認識に関わる重要なポイントになります。

自分を客観視できると同時に、相手についてもそれと同じ判断できちんと差異を見分けることを可能にする視点とは?

 

 

これが『メタタイプ論』です。

 

 


【あなた自身で運を開く、鍵を握っている星を見つけ出す】

~あなた自身が用いる神。それが人生の鍵を握る『用神』

人の人格は構造的にできており、性格やひいては運命を作っています。

この構造を原理的に把握することで、全体を有機的に活性化するための重要な鍵を握っている星を的確に見定めていきます。

 

これをどういう形で日常的に有効利用できるのか。

これが自力開運の秘訣であり、世渡り上手の奥義になります。

 

 

ただしなぜ、この鍵が自分にとって必要なのかを理解できなければ、

宝の持ち腐れになり、ご自身で使いこなすことができません。

ただ知っているだけではダメで、日々継続的に使いこなすための方法を提示していきます。


【魅力的な自分になる本当の意味】

~人との出会いは、自信から。

あなたには、生まれてきた以上いろいろな欲望をもっていきていることは否定しようもないでしょう。

お金が欲しい、影響力を持ちたい、皆から尊敬されたい、知識を得て成長したい、異性にモテたい。いい家に住みたい。

気に入った車が欲しい・・・。それはそれは際限がない、これが人間の偽らざる本性でしょう。

 

これらを手にいれる、最短の方法とは?一体どんなことか。

 

よくよく考えてみてください。

 

あなたが生きることなくして、この世界に意味はありますか?

あなたが本領を発揮して、清々しい気持ちで生きている。

その姿に魅力を感じる。

 

このことが、魅力的な人との出会いをもたらし、

精神的な深いつながりを生むことでさらに魅力的な人々との出会いが生まれる。

仕事においても、異性においても。

 

魅力的な人との出会いほど、刺激的で自分を向上させるものはありません。

 

 

こうしたことに真の価値がある。

自ら磨きをかけて魅力的な人になる、これが立命塾の目指すところです。

そのために準備した、私、易徳大有の人生の全てをかけたものが『メタタイプ論』です。

 

あなたは、どれほどご自分を大事にできているでしょうか。

 

自分だけの世界の中で、同じ考え方のループにおちいってないでしょうか。

 


【自分を抜け出し、世界を抱え、人を見抜く重要な視点】

~『メタタイプ論』の奥義について

あなたが何かに悩むとき、実は答えが決まっているのですが、どうして悩むのかわかりますか?

それは「今の自分を受け入れられない」という感情に支配されているからです。

その多くは、「認識」にまちがいがあります。何らかの形で事実を意識が歪んで映していることから生まれる、妄想です。

 

人は夢を思い描きます。夢とは「妄想」です。

この妄想とは、心の奥にある「本能的欲望」が作動しているからこその現象です。

本能やエロスという言葉は、動物的なイメージが強く、一般には避けられがちであるのですが、

しかし『快ー不快』の原理で作動する心のうちにあるもので人間本性の根本であり、

通常、誰でも同じように、同じ度合いでもっているものと考えられています。

 

この「本能的欲望」は人間の心の闇をつかさどっているが故に、露骨にあまり表沙汰にしないよう、

社会的に明らかにされることなく曖昧にされ、うやむやにされています。

 

しかし、この心の原初的な本能的欲望は、人間そのものを形成する深奥に隠されて潜んでいます。

さらにこの本能的欲望は、その強さ弱さの度合いだけでなく、各個人の心の風景を形成する原動力になっており、

そこにはある種のパターンがあり、それぞれに独特の違いを作っているのです。

 

これが実は個性の源泉です。

 

学問の世界では、この「本能的欲望の発露」についてタブー視されてアプローチしてこなかったために、

人間個性の最も根源的な存在意義を解明することができませんでした。

 

事実、さまざまな社会的な道徳や規範をぶつけても、法律を作って人間をコントロールしようとも、

いくら親が子に説明しても、「犯罪」は無くなりません。

 

ほとんどの人は欲望の虜と化し、堕落してしまいます。

 

厳しい現実のリアルな現象に肉薄し、この欲望の発露について解明し、欲望に乗っ取られることなく、

逆に欲望を支配するためには・・・

 

一体どうすればいいのでしょう?

 

もう一度繰り返します。

この欲望の発露は、生まれながらにして「個人個人で異なる」のです。

 

 

異なる本能欲望の発露には、陰陽五行から「5つのタイプ」に分類できます。

 

人の本能的欲望を明確に「5タイプ」に分け、

その差異の観点を鍵として他人の心の本音を洞察し、

自分との違いに注目し、よく理解することで、

より一層、自分の本能的欲望のありかがわかり人生の方向性をかなり明確に自覚できます。

 

なぜなら、人は何かと比較対照しなければ、その独自性を認識できない。

安定化した認識を成立させるためには、

明確にカテゴライズできる「差異」を知らなければ個性を自覚化できません。

 

自分と相手の根本的な差異である本能の作用、根源的欲望を見抜かない限り、

 

人間の「本性(ほんしょう)を見破る」ことはできないのです。

 

 

 

そもそも、この「欲望」。あなたは自分でその欲望を自ら選んできましたか?

いつのまにか、どうすることもできず、与えられて生きてしまっているのではないでしょうか。

 

 

 

立命塾易徳庵では、こうしたどうすることもできないリアルな事実に基づき、

避けて通れない現実と正面から真っ向勝負し“本能的欲望のメカニズム”を『メタタイプ論』で解読。

 

ここから人類の新たな領域を再創造するために

 

 

このメタタイプ論を公開します。